パリ ああ無情

おしゃれじゃないパリの日常

教育レベルと教養

教育があっても教養がない、教養があっても教育がないって、後者は全く問題が無いとしても、前者は何とかならないものかしら。

 

同じ教育レベルでも、セリーヌって聞いてブランド物の鞄しか思い浮かばない人と、作家や作品まで思い浮かぶ人と、この違いは大きいわ。

セリーヌの話なんか一秒たりとも日常会話で出てこないにしろ、同じ教養、背景があって初めて話が通じるってこともあるはず。

誰も博覧強記の荒俣宏になれって言ってるんじゃないのよ。ふふ、懐かしいわ。
 

日本の教育システムが反復、服従を良しとして兎に角有名大学に入ることだけを目標としているからかしら。

公私ともにがっかりすることがあるのよね。

 

それにつけても英語の民間検定試験見送りの件は残念だったわ。またしても既得権者に握りつぶされたんでしょう。

 

果たしてゴーンに英語で言い返せるだけの日産の会社役員とか検事とかはどれぐらいの割合いるのかしら? 

人の何十倍ものお給料を貰ってて。

そもそも奴の権力が肥大したのは他の役員たちが英語で対等に話せなかったからじゃないかしら。

自分のリアルな体験から自信を持ってそう言い切れるわ。

 

当地はひとの教育と教養レベルはほぼ同じのような気がするの。だから受けた教育により断絶もあるかもしれないけど、相手にがっかりすることはないわね。

 

反対に全体のレベルが均質で、レジ係もお偉いさんも暗算のレベルは相違ない、もしくはレゲエのおじさんが哲学書を読んでいるというのは日本だけかもしれないわ。

 

エリート教育、全体教育どちらが良いとも言えないけど。

 

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